Andy Riley「The Book of Bunny Suicides」

The Book of Bunny Suicides: Little Fluffy Rabbits Who Just Don't Want to Live Anymore (Books of the Bunny Suicides Series)

The Book of Bunny Suicides: Little Fluffy Rabbits Who Just Don't Want to Live Anymore (Books of the Bunny Suicides Series)

邦題「自殺うさぎの本」
10年くらい前に話題になって以来、気になっていた絵本である。
絵本というよりイラスト集かな?文章は一切なく、シンプルなタッチで描かれたうさぎ達がひたすら自殺方法を模索するイラストが延々と続くシュールな本で、ネットで検索すればいくつか見られる。


イギリス人特有のブラックジョークだろうか、自殺というテーマを扱っていながら笑える。
死に急いでいる割にこのうさぎ達、非常にクリエィティブだからだ。
ただ首を吊ったり毒を飲んだり、あるいは殺しあったりというような殺伐とした自殺方法ではなく、ありとあらゆる方法を模索している。


飛行機のプロペラに飛び込んでばらばらになってみたり、電線で感電してみたり、ギロチン台に整列してみたり。
かと思えばノアの箱船に乗らないだとか、砂漠でオアシスと逆方向に旅をするだとか、あるいは道を挟んで向かい合う刃物屋さんと磁石屋さん(?)の間に立って刃物が飛んでくるのを待つ、なんていう割と受け身な自殺方法もある。

秀逸なのはスタートレックの転送装置を使った自殺。
床に円がいくつか描いてあり、その円の中心に立つと転送ビームが出てきて物質が分解され、転送先で再構築される。
きちんと転送ビームを浴びることで再構築が可能になるんだが、そこで自殺うさぎは考えた。
円に半分だけ身体をいれて転送装置を動かせば…そう、身体がまっぷたつ!
残った半身がまたいい味だしてるんだ。


この愉快なうさぎ達、寺山修司の「青少年のための自殺学入門」を思い出させる。
寺山修司は自殺を特権的なものだとする。
自殺とは「死に向かって自由になる」主体的かつ象徴的な行為に他ならず、「生の苦しみから自由になる」敗北の死とは厳然と区別されるべきである。
その上で遺書の書き方や場所の選び方などをユーモラスに紹介するのだが、その中に自分が考案した自殺機械の短い描写がある。
例えば風呂に入ってお気に入りのレコードを聴きながら感電死する浴槽自殺機や、ニワトリに銃の引き金を引かせるニワトリ自殺機。
自殺うさぎ達の美学に相通じるものがある。
太宰治が「斜陽」で確立した「人間には死ぬ自由がある」という哲学を体現しているといえよう。


鶴見済の「完全自殺マニュアル」を想起する方もいるだろうが、あれはいわば「死に方を知っておくことがお守りになる」というパラドックスだったから、自殺うさぎや寺山の自殺機械とは根本的に違う。
自殺はいいことでも悪いことでもないけれど、「逃げるため」の自殺は笑えない。


ちなみに自殺うさぎ、先日古着屋の児童書棚に無造作に置いてあったので即座に購入した。
お値段わずか10セント!っていうかこれ児童書扱いしていいのかしらん?