唯川恵「みちづれの猫」

 

みちづれの猫

みちづれの猫

  • 作者:唯川 恵
  • 発売日: 2019/11/05
  • メディア: 単行本
 

太古の昔より続く、犬派vs.猫派の争い。(私はタケノコ派)

様々な主張があるけれど、ことインターネットの世界では猫派圧勝である。

 

2007〜8年ごろ出席したインターネット学会で、すでに「猫とインターネット」という分科会(パネル?)があった。まだmemeという言葉が市民権を得ていないころだが、すでにキラーコンテンツとして猫の写真がネットに溢れている!猫すごい!みたいな発表を、当時デジタル・コミュニケーションの重鎮だとか草分けと呼ばれていた先生方が至極真面目に議論してたのを覚えている。

ドッグパークや散歩道で飼い主同士のコミュニティを作りやすい犬飼いと違い、散歩が日課に入ってこない猫飼いは写真を交換するくらいしか猫自慢する場がないわけで、デジタル写真を交換できるインターネットの誕生は猫派にとってコミュニティづくりに最適だったのだろう。

確か、2010年ごろにどこかのdata scientistが調べた結果だと猫をテーマにしたコンテンツ(オリジナルの写真、動画、memeなど)が13億あったとかなかったとか(めっちゃあやふや笑)World Wide Webの生みの親であるTim Barners-Lee博士も「猫がこんなに流行るとは予想できなかったわ〜。」って言ってるし。

 

猫好きたちの横のつながりができたからかどうか、猫飼いをテーマにした漫画や小説が増えてきた気がする。

そこで表題作。猫のいる日常を描いた7本の短編集で、猫好き垂涎の一品に仕上がっている。猫が直接出てこない作品もあるけど、私は一匹の猫がいろんな人のところに行く「運河沿いの使わしめ」と、たくさんの猫が一人の人生を彩る「約束の橋」が良かった。

 

「運河沿いの使わしめ」は離婚のダメージで生活がボロボロになってしまった女性が、ふらっと迷い込んできた猫のおかげで立ち直る話なんだけど、猫とのエピソードより、汚部屋のでき方の描写がすごい。

主人公がある日食べ終わったコンビニ弁当の殻を、ぽんっと机の上に置く。次の日はその上に、机の上がいっぱいになったら机の下に。

その頃にはもうゴミという感覚はなくなっていた。それらはまるでテレビのリモコンと同じように、部屋の備品のひとつになっていた。やがて、それ自体が細胞分裂してゆくかのように、ゴミは部屋を占領して行った。

心の隙間にゴミが埋まっていく感じ、すごいリアル。捨てられないんじゃなくて、目に入らないんだろうな。

 

対照的に「約束の橋」は終活中の老女がみちづれの猫たちを思い出す話で、猫愛ここに極まれり!という台詞が目白押し。

二匹が逝ってから、すぐに次の猫を飼うことにした。それで喪失感が消えるわけではないが、猫の不在を埋めるのは、やはり猫しかなかった。

猫を飼ったことがないのでわからないのだが、別の猫で猫の喪失って埋められるの?恋人に依存する気持ちに似てるの?

猫好きは、すべての猫を好きになる。美しかろうが薄汚れていようが、雑種であろうが血統書付きであろうが、他人の猫であろうが、決して懐いてくれない猫であろうが、関係ない。すべてが愛おしく、すべてに心踊る。もう、猫のいない人生なんて考えられない。 

猫好きが宗教じみてくるのは理解できた。ちょっと偏愛すぎる嫌いはあるけど、神がモフモフの尻尾を持ってるのは悪くない。猫好きへのプレゼントにぜひ。

 

同時期に姫野カオルコさんの「昭和の犬」も読んだんだけど、「みちづれの猫」の方が面白かった。たぶん「昭和の犬」の主人公がそこまで露骨に犬愛を謳っていないからかも。

昭和の犬 (幻冬舎文庫)

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