「恋愛曲線」小酒井不木

怪奇探偵小説名作選〈1〉小酒井不木集―恋愛曲線 (ちくま文庫)

怪奇探偵小説名作選〈1〉小酒井不木集―恋愛曲線 (ちくま文庫)

豊平文庫で夢野久作を読みあさっていたら、「江戸川乱歩氏に対する私の感想」と題された夢野の乱歩論、というか乱歩の久作論への返答のような一風変わった文章を見つけた。


江戸川乱歩自体は好きでも嫌いでもない。
最初に読んだのが児童向け「怪人二十面相」シリーズで、それもルブランの「アルセーヌ・ルパン」シリーズと同時期に読んだため、子供ながら欧米推理小説の劣化コピーのような飽き足らない気持ちがして読むのをやめてしまった。「D坂の殺人事件」や「二銭銅貨」にも、あまりいい印象を持たなかった。
少しオトナになってから「人間椅子」やら「白昼夢」といった乱歩の怪奇小説を読み、気味の悪い情景をありありと描き出す筆力と、効果的に挟まれる片仮名の擬音語・擬声語にゾクッとさせられ、なるほど大乱歩、と首肯したわけだが。


夢野久作の乱歩論は非常に率直だ。怪奇小説の大先輩、と持ち上げつつも、ペンネームの安直さや西洋かぶれを酷評することも忘れない。久作に言わせれば乱歩の魅力は、ポーの作品が「モノスゴイ薬品のにおい」に満ち満ちているのなら、乱歩はそれを「オドロオドロしい黒砂糖の風味」に置き換えて日本風の「ヤルセのない魅力」にしていることらしい。


大正−昭和初期、デカダンでエログロナンセンスなモダン文化が花開く頃、日本の若き作家達が日本独自の文学を打ち立てようと四苦八苦していた様子が目に浮かぶ。西洋への劣等感を内に秘めつつ、変に開き直ったような、素直で開けっぴろげな作品がこの時代には多いように思う。


そんな夢野の乱歩論の中で、ふと目を引かれたのが以下の記述だ。
「正直のところ、小酒井不木氏の『恋愛曲線』を読んで、乱歩氏とは違った感じの『美の戦慄…戦慄の美』が日本にもう一つ存在する事を知った」

恥ずかしながら小酒井不木を(こさかいふぼく)と読むことも知らなかった私だが、久作がそう言うなら致し方ない。早速豊平文庫で『恋愛曲線』をダウンロードしてみた。


この短編の主人公はどうやら青年医師らしい。愛する女性の結婚が決まり、失恋のどん底で書いた恋敵への手紙という形式をとっている。失恋の痛苦の中で彼は恋愛のシンボル・心臓の研究に没頭し、取り出した心臓に「感情を含んだ」血液を流すことで『恋愛曲線』なるものを描くことに成功したというのだ。


しかもここからがふるっている。
「感情を含んだ」血液は、喜怒哀楽をそのまま映し出す。
結婚への贈り物ならば幸せの極地をあらわす曲線でなければならない。
彼の血液は愛しき女性の結婚で失恋の絶頂に達しているのだが、それを同じく失恋の絶頂に達した女性の心臓に通過せしめたならば、マイナスとマイナスを乗じてプラス。すなわち、その時に描いた曲線こそが、恋愛の極致をあらわす、と医師は考えたのだ。


手紙は後半に差し掛かり、遂にある女性の心臓を取り出し自分の血液を流すドキュメンタリー的くだりとなる。
そして待っていたのは驚愕の結末。
あまりに意外な展開に、思わず「うぇ?!」と声が出た。


医学的怪奇小説とでも言うのだろうか、元医者の小酒井だからこそ書けるこの奇妙な短編は、消毒用アルコールの匂いを私の口の中に残していった。