「歌よみに与ふる書」正岡子規

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

歌よみに与ふる書 (岩波文庫)

正岡子規と言えば、
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」
「くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨のふる」
の2作品しか知らなんだ。


前者が芭蕉の「松島やああ松島や松島や」とならぶ駄作(どちらも…だから?と問いたくなる)なのに対し、後者はしとしと庭を濡らす春雨の情景がまざまざと浮かんでくるような美しい詩なので、歌よみとしては出来のいい歌と悪い歌の差がありすぎるほどある、いわばMan of Extremeなんだろうと思っていた。


あとは歴史の授業でちらっと習った「ホトトギス」文芸復興運動だとか、肺結核を長く患いながらも「啼いて血を吐くホトトギス」を雅号にする反骨精神の持ち主だったとか、夏目漱石の名付け親?だとか、まぁそんな通り一遍の知識だろうか。

それが司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んで一変した。正岡さんちのノボルさんは、風雲急を告げる明治日本にあって、たった一人で既存の歌壇に殴り込みをかけた、鳥肌がたつくらいかっこいい人だったようだ。


子規が陸羯南の新聞「日本」に連載したエッセイ「歌よみに与ふる書」は旧弊にとらわれ活力を失った日本の短歌・俳句を一新してやろうという煮えたぎるような意欲に満ちあふれている。
若さだろうか、病身ゆえの偏執的な集中力の賜物だろうか、子規のラディカルな舌鋒は留まるところを知らない。


たとえば連載第2回の冒頭、子規は歌聖とされた紀貫之をばっさりと切り捨てる。
「(紀)貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」
簡潔に言えばすむものを、長々と理屈をこねて冗漫にしやがって!と舌鋒鋭くこきおろす。


傑作なのは凡河内躬恒(おおしかわちのみつね)の
「心あてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花」
を「此の歌は嘘の趣向なり」と罵倒していることだ。
初霜が降りたくらいで白菊が見えなくなる訳ないだろ!どうせ嘘をつくならもっと上手い嘘をつけ!とからかっている。

確かに古今の歌人は自分でやらなそうな雑用(薬用に使われた白菊を摘みにいくとか)をあたかも自分でやったように詠って机上の技巧に終始するもんな…。言葉遊びのためならば、アンタそれホントに自分で見たんかい!?というような情景を詠うこともいとわないし。そんな「嘘」をばっさばっさと大鉈ふるって切り捨てていく子規の評論には、思わずニヤリとさせられる。


さらに面白いのは「外国の文学思想を積極的に取り入れたらいいじゃない」というくだり。
「従来の和歌を以て日本文学の基礎とし城壁と為さんとするは弓矢剣槍を以て戦はんとすると同じ事にて明治時代に行はるべき事にては無之候。」
怒濤の文明開化を目の当たりにした明治日本。雪崩を打って輸入される西洋文化に恐れをなし、短歌や俳句を砦とすべし!とぶちあげる旧弊を笑いとばし、
「英国の軍艦を買ひ独国の大砲を買ひそれで戦に勝ちたりとも運用したる人にて日本人ならば日本の勝と可申候。」

外国のものを輸入して日本国が発展するならそれでいいじゃない。どうせ俳句だって短歌だって日本文学だって、中国から輸入した漢語なしには成り立たないんだからさ。


…いいなァ。日本人のアイデンティティってなんだ?と聞かれて、こんだけエネルギッシュな答えができる時代に生まれたかったよ。このくだりが示すように、子規は明治日本に生きた若者らしく、満ちあふれる愛国心をそのまま表現していたように思う。太宰治に通じる源実朝好きも、技巧より実直を重んじる武士(もののふ)の心を詠った歌にシンパシーを感じたからだろう。


子規が名句とした実朝の歌の中で、自分が気に入ってるヤツを2首あげておこう。

「時によりすぐれば民のなげきなり 八大竜王雨やめたまへ」
「大海のいそもとどろによする波 われてくだけてさけて散るかも」