「プリズンホテル」浅田次郎

プリズンホテル 2 秋 (集英社文庫)

プリズンホテル 2 秋 (集英社文庫)

浅田次郎の小説を一言で表すなら「交響曲」。
一癖も二癖もある登場人物が派手な自己主張を繰り広げつつストーリーを形作る。数々の伏線が重層的なハーモニーを奏でつつ、クライマックスを盛り上げる。読んでるこっちは好き勝手に動き回る奏者にはらはらやきもきさせられつつ、名指揮者のタクトが生み出す圧倒的なオーケストレーションに結局涙腺大崩壊。
洒脱で計画的で隙のない、そういう「巧さ」が浅田小説の魅力だ。


浅田さんの作品はどれを取り上げてもざっと見積もって代金の3倍くらいの満足度があるのだが、まぁとりあえず手近にあった「プリズンホテル」からいってみよう。この連続小説、夏から始まって秋・冬・春の全4巻で季節を一巡りする趣向なのだが、正直、後半2巻(冬・春)は前半に比べてパワーが落ちたというか、文章がところどころつんのめっているというか、登場人物の描写が物足りない。
第2巻の「秋」が一番まとまってるように思う。


偏屈な極道小説家・木戸孝之介は相も変わらずネタに詰まり、原稿用紙に頭突きをくれる毎日。ひょんなことからヤクザ、もとい任侠団体の親分である叔父・木戸仲蔵が経営する奥湯本あじさいホテル、通称「プリズンホテル」にまたもや足を運ぶことになる。仲オジ始め、実直がスーツを着て立っているような花沢支配人、族あがりでどこか半端な息子の繁、幸之助の生みの親である女将に駆け落ち相手の黒田番頭、「鉄砲常」の異名を持つバーテンの常さんにフランケンの安さん。一段と包丁の冴える梶平板長に天才シェフの服部さん。1巻からおなじみの面々に加え、青山警察署ご一行に心中希望の元アイドル、一見大学教授風の「集金強盗」に往年の大歌手真野みすずまで加わって、紅葉の奥湯本は今宵も大騒動…。


プリズンホテルは「娑婆」の理から断ち切られた桃源郷だ。
看板の黄金湯はヤケド・切り傷・刺し傷のみならず、娑婆のせちがらい風に吹かれてからっからになったココロにも滋養があるようで、殺人未遂にド派手な銃撃戦、真野みすずのオールナイトショーまで息つく暇もない1泊2日なのに、宿泊者は娑婆の垢を洗い落としてほっと一息、みな生き返ったように宿を後にする。


浅田さんは1巻のあとがきでこう書いている。
「時として、メジャーな世界の論理ではどうともしようのなくなった苦悩が、マイナーな世界のエネルギーによっていとも簡単に啓蒙され、解決されてしまう。世の中によくあるこうした現象を書き出すことが、私の目指すところでございました。」


日常と非日常がプリズンホテルの一瞬に交差し、思いもよらないパワーを生み出す、ってとこだろう。疲れきった宿泊者が自分を取り戻す様子がとても心地いい。


主人公については賛否両論あるだろう。育ての母親・富江さんをぼこぼこに蹴る殴る。内縁の妻というか体のいい奴隷というか、「パープーお清」なんてヒドいあだ名をつけられた清子さんも風呂桶で頭を殴られるわ頭突きを喰らうわ、常に痣だらけの有様。2巻ではお清さんの娘・美加ちゃんが孝之介に同行するのでDV描写はそれほどないが、まぁ最低の男ってやつだ。愛する代わりに殴るっていうメンヘラ系愛情表現には賛成できかねるが、孝之介の愛がどれだけ深いか表す伏線的にはアリだと思う。


2巻の最後で自分を捨てた実の母親(女将)を前に孝之介は富江さんに電話をかけ、受話器を突き出す。
「かわれよ。詫びのひとつぐらい言ったって、バチは当たらないだろう。富江はな、おまえのために人生を棒に振ったんだ。おまえが男と駆け落ちしてから、すっかり老け込んじまったおやじを見るに見かねて、メソメソ泣いてばかりいる子供が不憫で…。かわれよ。よくぞここまでセガレを育ててくれましたって、親子ほど年の離れたおやじに、よくぞ抱かれてくれましたって。あやまれよ、さあ、ほめてやれよ。」


これだけ熱い思いがあるならなぜ殴る、と思わなくもない。愛されたがりにもほどがある。ただ、そんな孝之介の社会不適合な愛し方を富江さんとお清さんがちゃんとわかってるから成り立っている関係なんだろう。時折挟まれる博徒言葉がそんな浪花節を盛り上げる。ここにフェミニズムだの男尊女卑だの持ち出すのは無粋というもの。ピカレスク嫌いの人は読まなきゃいいわけで。


名台詞まみれで選ぶのに困るプリズンホテルだが、最後はやっぱり仲オジにシメてもらうことにしよう。
「鶴と亀との相生に、極楽往生いたすのもようござんしょうが、一天地六の賽の目次第に罷りますのも、また乙なもんでござんす。上は吉原泪橋、本所駒形向島までの百四町、盆の内外、決してぬかりァござんせん。桜の大門打ちそろいやして、これよりお送りいたしやんす。いやさ新介兄ィ、とくお立ちなせぇ。」