「女たちのジハード」篠田節子

女たちのジハード (集英社文庫)

女たちのジハード (集英社文庫)

日本から持ってきてほしいものを聞かれたら、とりあえず小説!とリクエストする。一時帰国した友人が紙袋一杯詰まった土産本のなかから「アラサー小説って知ってる?」と薦めてくれたのがこの一冊。「アラサー小説」なんて、ジャンルだけ聞いたら絶対手を出さない類いだが(あとケータイ小説とかw)この本は大当たりだった。


「女たちの」「ジハード」なんてわざわざ読者を引かせるようなフェミ臭むんむんのタイトルをつけておきつつ、そこはさすが篠田さん。まさに小説家として脂がのった筆さばきというか、リアルかつ小気味よい描写に一分の隙もない。すでに5回ほど読んでいるが、いつも1ページからラストまで息つく暇もなく一気に完読してしまう。ほら、伊丹十三の「たんぽぽ」で最高のラーメンを食べた客達が最後の一滴までスープを飲み干してカタン、とカウンターに丼を置くあの感じ。読了後、美味しいものを食べた時のような、ふ〜って長いため息が出る。幸せだ。


登場人物は大手保険会社に勤めるOL5人。なかでも中心になるのは、30前半の「いきおくれ」康子、結婚願望が強く日々寿退社に闘志を燃やす「燃える下心」リサ、そして得意の英語でOL脱却を図る「The自己中」紗織。この3人が章ごとにリーディングロールを演じるオムニバス形式になっている。


恋愛、仕事、自己実現。女性達が日々ぶつかる葛藤の中で、つまづいたり迷ったり、泣いたりわめいたりして、一般職というモラトリアムをそれぞれのやり方で乗り越えていく。といってしまうと三文小説みたいだが、個性的な女たちがなにしろ面白い。


一応主人公格の康子はおそらく読者がもっとも感情移入できるであろう、地味で真面目で常識的で、だからこそ貧乏くじを引いてきたタイプの女性。物語の最初ではしょーもない男につかまって涙目だったものの、一念発起して競売にかけられたマンションを購入して以降、トマト農家の男性と出会ってビジネスチャンスを開拓するなど、たくましく自分の人生を切り開いてゆく。

リサは可愛く聡明で家事万能。女の幸せはレベルの高い男を見つけることと決めてかかり、男漁りに余念がない。なのに最終的につかんだ男は、だれよりもいい肩書きをもちながら、だれよりもあっさりと肩書きを破り捨てて夢を追っちゃう、まさに「貧乏くじ」。でも、マニュアル通りの笑顔を脱ぎ捨て飛び立っていったリサは最高にきれいな笑顔をしてた。


この2人はものすごく魅力的なんだが、一番気になったのは紗織。英文科卒で会社勤めの傍ら下訳のバイトをしたり、自分磨きに余念がない。「英語で食べていきたい」とついに会社を辞めてアメリカに留学するわけだ。


「英語で食べていく」
よく聞くフレーズではある。特に北米に住んでいると、日本語新聞に載っている語学学校やエージェントの広告にでかでかと大書してあるし、google adにも表示される。実際にそれを口にする日本人にも会った。でも、英語がしゃべれたらそれだけで食べていけるって幻想、どこから来たんだろう?バイリンガルを職能としてそれだけでやっていける専門職にでもつかない限り、英語圏で英語をしゃべれるのって、私肺呼吸で生きてます、ってくらいどうでもいいことだ。やりたいことのために英語が必要なんじゃなく、料理やフラワーアレンジメント、スキューバと同じ欄に「英語」が存在してる。


日本人だらけの語学学校にへきえきした紗織がロサンゼルス郊外の砂漠地帯を歩きながら自問自答するシーンがある。

「何が悪かったのか、と青空を見上げる。黒を帯びるほどに深い青…。
何かが中途半端なのだ、という気がする。
自分は何をしたいのか?翻訳?なぜ翻訳の仕事をしたいのか。
英語で食べていきたかったから。
なぜ英語でなければならないのか。
アメリカを好きだから。イギリスでも、オーストラリアでもなく、もちろんヨーロッパの他の国でもなくアメリカが好きなのだ。」


全く同じ答えをカナダで20年以上政府関係の翻訳をやっている日本人女性から聞いた。理屈なんてない、カナダが好きなのだ、と。

答えはきっと、こんなシンプルなことなんだろう。

だからこそ、自己中・KYな紗織にこの台詞を言わせた篠田さん、やっぱり隙がない。それまで自分で体験したこともない知識を振り回し「食べていく」なんてもっともらしい理屈をこね回していた紗織が、紆余曲折の末「アメリカが好きだから!」と自分の中に眠る熱い思いに気付くこのシーンは、気持ちいいほどすがすがしい。

自分探しの果てに理屈抜きで好きなものを見つけられたら、生きていくのがずいぶん楽になる。もがいてあがいて「聖戦」して、人生を切り開く意味がそこにできるもの。