「見仏記[3]海外編」いとうせいこう・みうらじゅん

見仏記〈3〉海外編 (角川文庫)

見仏記〈3〉海外編 (角川文庫)

中学高校を通じて修学旅行は京都・奈良だった。
うちの中学は修学旅行をまさに「修学」の機会ととらえており、行く前からみっちりと勉強させられる上、グループレポートなんかも書かせられた。うちの班は「古代集権国家の都市計画」がテーマで、平城京、長岡京、平安京が唐の長安をモデルに碁盤の目の都市を造った経緯なんかを調べて壁新聞?にしたような記憶がある。
あとで他の中学はそんな習慣がなく、みんなで楽しく遊んでたと聞き、なんとなく損した気分になったものだ。


旅行前の「修学」は、歴史の時間はもちろんのこと、美術にも及んでいた。
京都・奈良で見学予定の仏像や寺社建築について、時代ごとの建築様式や仏像様式について、事前に精密なレポートを出させられる。
制作技法一つとっても、金銅、乾漆、塑像に石像、一木彫りに寄せ木造り。
顔の表情はガンダーラの影響が強い飛鳥系、純和風の白鳳系。奈良・平安は印象が薄く、鎌倉になって武士の趣向を反映した力強い仏がつくられるようになった…ウンヌン。
そんな授業が1ヶ月も続くものだから、旅行に行くころには写真を見ただけで、「あ、この人の鼻、白鳳だね」とか、「観音は如意輪より不空羂索でしょ」とか、「個人的には垂木は二軒(ふたのき)より一軒(ひとのき)の方がさっぱりしてて好きだな、ビバ!天平」とか、下校途中にそんな会話を交す女子中学生ができあがったわけで。
(ちなみに私の心の恋人は奈良・興福寺の阿修羅像。仏像界のフレディ・マーキュリーってくらい有名なんで、人に話すのは恥ずかしいんですが…。)
親友のMは仏像熱が高じて大学のサークルは仏教美術系。春休みには2人でタイの仏像巡りに行ったりもした。あー仏像見てぇ。


まぁそんな親父臭ただよう趣味、人に漏らしたらドン引きされるのは必至。
心の奥底に閉まってこっそり生きてきた私だが(それにカナダには仏ないし)、「仏好き」って意外にメジャーな趣味なんだ、と教えてくれたのがこの「見仏記」。
1995年くらいからずーっとやってるのかな?
みうら・いとうの仏好きコンビが日本中の仏・秘仏を見て回る1、2巻に続き、この第3巻ではついに海外へ。
韓国→タイ→中国→インドと日本への仏像伝来ルートを逆行し、ルーツを探る抱腹絶倒の旅である。
いとうさんの文章とみうらさんの独特なイラストが相変わらずゆるーい雰囲気をかもしだしている。


みうらさんはとことんマイペース。変なみやげもの(orいやげもの、もらったら嫌だから)に一喜一憂し、仏に「シャワールーム仏」だの「プリティ上人」だの変なあだ名をつけては浮かれてるみうらさんに引きずれつつ、必死でツッコむいとうさん。最初は常識人だったいとうさんも3巻目になるとすっかりみうら化していて、インドでは一体の仏像をみるだけのために往復16時間小型車に揺られたりするわけだ。


仲良いおっさん2人の道中記がこんなにも面白いのは、いとうさんの筆によるところが大きい。
小学生のころから仏像スクラップブックをつくるほどの「見仏のプロ」であるみうらさんが、各寺・各仏の前ではしゃぐ様子やつぶやくオモシロ台詞を「見仏のアマ」として克明に描写してくれている。読んでるこっちはいとうさんの目を通してみうらさんを見ている気分になる。みうらさん、あんたいい加減にしなよw


今回の海外編で面白かったのはインド。
ヒンズー教の神像は日本に伝来した仏像の元祖というべき要素を多く含んでいた。
リンガに十一面観音のルーツを見、3つの顔を持つブラーマに阿修羅のヒントを、ヴィシュヌのファッションに四天王への影響を見いだし、2人はこんな結論に達した。
「昔から、インドの人はうまいわ。ぶっちぎったね、文明」
「進みすぎたのかもね。それで現代に向かなくなった。」


そして2人は釈迦入滅の地・クシナガラで涅槃像に出会う。
いとうさんはその時のみうらさんの様子がまるで「祖父を看取る孫のよう」だと思い、くしくもみうらさんは祖父の最期を思い出していた。長い長い旅路の果て、2人は釈迦の死に目に会えたのだ。
「釈迦の手を握れば良かった」とつぶやくみうらさん。
見仏とは悟りを目指すことじゃなく、死んじゃった人への思いとか、一緒にいる人の大切さとか、今生きてる人が大事な何かに気付く術なんだろう。
ゆるゆる道中の果てにちょっと切ない結論にたどり着いた見仏コンビ、次はどこに行くのかな?