村上龍「69」

69 sixty nine (文春文庫)

69 sixty nine (文春文庫)

1969年。東大が入試を中止し、髪を伸ばしたヒッピーが愛と平和を訴え、ベトナムでは泥沼の戦争が続いていたころ。東大安田講堂陥落を機に全共闘が力を失い、学生運動が収束へと向かうことになるそんな年、高校生だった男の子たちのお話。

長崎県屈指の進学校・佐世保北高校で、3年になった矢崎ケンは相棒アダマたちと学校をバリケード封鎖する。夜の学校に忍び込み、ペンキで「造反有理」だの「同志よ、武器をとれ」だのスローガンを書きなぐった。屋上からは「想像力が権力を奪う」と大書した垂れ幕を掲げ、極めつきは校長の机にウンコを垂れる。あっさりとバレて警察沙汰になり、ケンとアダマは自宅謹慎をくらうのだが、謹慎がとけるやいなやロックと映画のフェスィバル、名付けて「朝立ち祭り」実行に向けて動き出すのだった。


口から生まれてきたようなケンのこと、立て板に水のごとくバリ封の重要性、フェスティバルの意義を語っては純朴な同級生たちを丸め込んでいくのだが、結局何でバリ封をやりたかったといえば、革命でも闘争でも体制打破でもなくて…「女にモテたい」から。


「バリ封やりてぇ(モテるから)」「じゃあやろうぜ!(モテるだろ)」


シンプルかつすさまじいエネルギーと実行力だが、この動機には何故かほっとする。
69年がどんなにエネルギーに満ちあふれキラキラした時代だったとしても、高校生男子の考えることは今も昔もおんなじ。
下半身でモノを考える瞬発力と、熱さと、疾走感。
楽しいことだけやっていたいホモ・ルーデンス。
楽しむことのエネルギーがそのまま反体制へのエネルギーに転換される、そんな時代だったのだろう。


村上さんはあとがきでこう書いている。

楽しんで生きないのは、罪なことだ。わたしは、高校時代にわたしを傷つけた教師のことを今でも忘れていない。
数少ない例外の教師を除いて、彼らは本当に大切なものをわたしから奪おうとした。
彼らは人間を家畜へと変える仕事を飽きずに続ける「退屈」の象徴だった。


ここまでなら素敵な青春小説なのだが、この小説は村上さんの高校生時代をほぼそのまま書いた作品だそうで、西日本新聞の記事に50代になった登場人物たちの回想がつづられている。
彼らは69年を回顧しつつ、「祭りの後」を生きる虚無感をにじませる。
54歳になったアダマさんは「豊かさの中で日本人は去勢されてしまった」とつぶやき、バンド仲間のフクちゃんは「『反体制』さえパッケージ化されて消費されるようになった」と憤る。


「あの時は良かった」的青春小説って嫌いじゃない。青春は振り返ることでしか語られない架空の時期だから。
でも、高度消費社会で生まれ大学闘争なんて教科書でしか読んだことのない私からすれば、彼らの懐古主義には鳥肌が立つ。
だってお前らがこの時代にしたんじゃねぇの?
ロックにヒッピー、ラブ&ピース。
アメリカから輸入してきた横文字の概念を振りかざして反体制を訴えてたあの頃のお前らが、日本を消費社会にしたんじゃねぇの?
ゲバ棒にヘルメットの「反体制」なんてパッケージ化以外の何ものでもないじゃない。
「反体制」をファッションとして消費して、学生運動以降の消費文化の下地を作ったのは、お前らじゃねぇの?


お祭り人間は大好きだ。
祭りがあることで人間は生きていける。
だけどそれに適当なイデオロギーをくっつけて、「あの時代は良かった…」って目を細めて語るのはやめにしないか。
70年代以降の日本を「祭りの後」にしちゃったのは、他でもない、学園闘争の生き残りたちだと思うよ。