「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん

まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)

まほろ駅前多田便利軒 (文春文庫)

さらっと読めてなおかつココロに残る小説ってなかなか少ない。綿密な世界設定と物語のテンポ、それに登場人物が魅力的であることが絶対条件だ。情景や感情描写の無駄を削るだけ削ってすっきりあっさり、かるーいタッチに仕上げるのは熟練の技だと思う。小説好きから暇つぶしハンターまで、この本なら誰にでもおススメできる。


物語は東京郊外のまほろ市で便利屋を営む多田の元に高校時代の同級生で変わり者の行天が転がり込んでくるところから始まる。どちらもバツイチ、推定30代後半。
多田はあくまでフツーの仕事人。物語の中で暗い過去を引きずっていることが明らかになる。
一方、行天は高校時代一言もしゃべらなかった人嫌いの変人で、工芸の時間小指を切断する事故にあい、指はつながったものの「血の通わぬ青白い部分」を抱えてひょうひょうと生きている。


2人の関係は…友人同士というより、飼い主と半ノラ猫?
気まぐれでマイペースな行天に常識人・多田が振り回される、まぁよくあるパターンだが、洒脱な会話と癖のある登場人物、まほろ市(モデルは町田市?)のリアルな描写のおかげか、中古感は一切ない。噛み合ない会話をかわすおっさん2人に終始頬がゆるみっぱなしになる。


正直エンタメ部分だけで大満足なんだが、三浦さんがこのお話で繰り返し提示するのは「幸福の再生」というテーマ。
行天のつながった小指はその象徴だ。

多田はこう想う。
「一度肉体から切り離されたものを、また縫い合わせて生きるとはどういう気分だろう。どれだけ熱源にかざしても、なお温度の低い部位を抱えて生きるとは。」
与えられなかった愛情、失った家族、なくなったものを元に戻すのは絶対不可能だとして、じゃあどう生きていこうか。


なぜ便利屋をやっているのかと問われた多田の答えが、一つのヒントを示している。
「だれかに助けを求めることができたら、と思ったことがあったからだ。近しいひとじゃなく、気軽に相談したり頼んだりできる遠い存在の方が、救いになることもあるのかもしれないと。」

多田の目指す便利屋は、インターネットの匿名掲示板に似てる。
知らない人だから本音が言える、顔が見えないから親身になれる。遠くにしか存在しない癒しもあるのだ。
自分がもらえなかったなら人にあげればいいじゃない、救ってもらえなかったなら誰かを救えばいいじゃない。
幸福は再生しないけど、上書きはできるんだ、ってとこかな?


多田・行天コンビがホントおもろいから、シリアス要素が浮いてしまってるのが残念。おっさんがバカ話しながら事件にまきこまれてるだけじゃやっぱダメなのかな…?