東野圭吾「片思い」

片想い

片想い

女性が男性に勝てるスポーツは存在しないのだろうか?
バンクーバー五輪でカーリングを見ていてこんな話になった。
陸上や水泳、野球やサッカーに比べ、カーリングはそれほど男女差がでなそうな競技だ。
もちろん投げる正確さや戦術さは要求されるだろうが、体力にモノを言わせるスポーツではない。

でも、素人が見ていても分かる。
女子選手は男子に勝てそうにもない。
円の中心に石が滑っていかないのだもの。まっすぐ当てるだけの最後の一投が、外側の円すら逸れていくんだもの。
ルールに男女差がなく、男女混合で女子がトップをとってるスポーツってあるのか?
残念ながら私には見つからなかった。
ビリヤードにしても、これはスポーツと言っていいかは分からないが、ポーカーや麻雀、将棋なんかでも『女流』は『男流』に勝てない。
素人レベルではわからないが、一握りの人だけが到達するトップ中のトップの世界に女性がいることは極めて少ない。
肉体の問題ではないのだろうか?かといって社会が決めたジェンダー的な問題でもないだろう。
じゃあ、男女の違いって結局なんなんだろう?


この小説はこういった、普段はあまり考えないもやもや感を呼び覚ます作品だった。
話自体は正直どうでもいいのだけれど、ジェンダーの問題を考える上で必要ないくつかのカテゴリを提示してくれたという意味で評価したい。


哲朗はスポーツ専門のフリーライター。学生時代アメフトのクォーター・バックをやっており、妻の理沙子は元マネージャーで現在はカメラマンをしている。
ある日の同窓会。元マネージャーの美月が突然現れ、自分は実は男で、男として生きることに決めたのだと言う。
しかも友人をストーカーしていた男を殺害してしまったと告白する。


とまぁ、FtM(を目指す自称性同一性障害の女性)が主要人物の一人で、どうやって殺害をごまかすか主人公が四苦八苦してるうちに謎が深まる展開ですな。
半陰陽の陸上選手にトランスセクシャル、トランスジェンダーの人々。手術はせず男として生きている劇団経営者、MtFで戸籍も女性と入れ替えてしまった人など、X・Yにこだわる登場人物はまぁ色々でてくる。
自分のセックスに疑問を抱かないレズビアンやゲイ、バイセクシャルは何故かでてこないのだけどw


美月が言うように女の肉体をもっているから自分の人生がダメで、男の身体があればすべてがうまくいくというのは短絡的だと思う。かといって、女か男かで扱いが変わるような社会を変えれば良いじゃないか!と息巻く主人公の妻に賛成する気にもなれない。


社会が悪い!
それは間違いなく正論なんだけれど(構成員のほとんどが現状維持を望むような社会は死に体である)、個人個人の生きづらさを社会なんて漠然としたものに還元してしまうと結局別の差別を生み出すことになる。
男・女のどちらかになって、社会や文化や歴史が決めたレールに沿って男っぽく、女っぽく生きるって、「自分らしく」生きるより100万倍楽だ。
誰かが決めてくれた「それらしい」性的役割を果たせるのであれば、アイデンティティ・マネジメントに悩む機会は少ないだろうし、実際その言説を再生産しているつもりでも、時代が変われば「らしさ」なんて変わっていく。
父権制度に組み込まれやがって!と学者が息巻いたところで、一人一人の生きる経験はもっと多様で複雑だ。
今後20年の教育は、「自分らしく生きる」のではなく、「人を傷つけない」やり方を教えるべきだと思う。


マイノリティとして生きるのは辛い。
でもマイノリティとしての生き方が、マジョリティに入ってしまってそこであっぷあっぷしている人の生き方より辛いとはいいきれない。人はそれぞれがそれぞれの辛さを抱えている。
だって、ジャズだってロックだってパンクだって女性だってゲイだって北米に置けるアジア人だって、peripheral (周縁)は往々にしてedgyでcoolなものと見なされて、最終的にはmainstreamに吸収されてきたじゃないか。
私は社会を変えるために生きていたいけれど、自分のアイデンティティを守るために与えられた「男らしさ」「女らしさ」を生きている人を軽蔑したくはない。
男でも女でもなく自分らしくなんてそんな難問を突きつけるから「自分探し」に逃げちゃう若者(笑)が増えたんだろ。


色々考えさせられたのでとても良かったのですが、やっぱり東野さんの本はイマイチだなぁ…。
後味の悪い小説を書かせたら桐野夏生と張ると思うし、ミステリにしてもガリレオとか嫌いじゃないんだけどなぁ…。(手紙や放課後はダメでした)
いつも思うけど、東野作品をつまらなくしているのは会話の嘘くささと題名のどーでも良さだ。

俺はこの手を離さない。仮に逃げたとしても追いかける。スクランブル攻撃の足は健在だぜ。

…こんなこと言う元クォーター・バックとか絶対お近づきになりたくない。